よく「死にたい」って言葉を口にする。
よく「死にたい」って言葉を耳にする。
よく「死にたい」って言葉を目にする。
そもそも死にたいとか死ぬって、なんだろう
死ぬっていうのは生きている状態から死んでいる状態に変化すること?
死にたいって死んでいる状態になりたいということだと思うけど、
そこには、動作を含んでいるのと、動作を含まないで状態を望む二つの言葉がある気がする。
例えば、歩きたい、痩せたいって表現
歩きたいには、どちらかといえば歩き始めたいという“動作“を示していて、
痩せたいには、どちらかといえば痩せている“状態“になりたいを示している。
死にたいって表現はそのどちらも意味するところだと思うけど、
「死にたい」と言葉にするときは、動作ではなく、死んでいる“状態“になりたいということのほうが多い気がする。
それを理解せずに、
A「死にたい」
B「じゃあ死ねば?」
などという会話では、どうもうまくかみ合っていない気がする。
そもそも死ぬには、
能動的な側面(自殺する)と
受動的に側面(車に轢かれて死ぬとか)があると思う
A「死にたい(受動的に死んでいる状態になりたい)」
B「じゃあ死ねば?(能動的に死を促す)」
「死ねば?」という表現はどちらかといえば命令的な印象
死ねばよいと思います みたいな表現にしても、能動性を促す言葉になっている気がする。
受動性を促す命令的な言葉はあるのか?
んー、難しい
能動的に死にたいわけではなくて
受動的に死にたいわけかもしれないし、
あるいは死んでいる状態になりたいかもしれない
だからじゃあ死ねばみたいな能動的行為を促す言葉は噛み合わないことが多いんじゃない?